日本の英語教師

こちらは「学校の英語教師はどのように授業を行うべきか」の続編です。

今回は日本の英語教師がCELTAを取得したいと思った場合、どんな事が障壁になるかを予想、指摘したいと思います。

教科間の平等性問題

「公教育」である公立の学校では体育も家庭科も英語と同じウェートが置かれ、9教科の先生は等しく平等です。

どれかを特別扱いする事は原則できない中でも、語学研修は場所が海外になるので、英語では教員を海外に留学させています。

私が高校生だったときにも、公費で一年イギリスに留学した先生がいました。もちろんこの先生は部活も担任も授業も一年間代わりを頼む事になります。

結果は、他の教員の負担増加になるので、現場から好意的な声はあまり聞こえなさそうです。

ただ、私自身が英語の教員だからというのもありますが、今の日本の状況を考えると、個人的には本当に9教科が平等でいいのかという疑問が沸きます。

また、「英語よりも日本語力」「日本人の理系能力が落ちている」「プログラミングや金融リテラシーが必要」「キャリア教育をもっと充実させるべき」など、日本の学校に対する要望が色々ありますが、将来ますます増していく学校教育の重要性を考えると、一度棚卸をしてもいいのかもしれません。

教科指導力を伸ばすインセンティブがない

自主的に研修などに参加してトライ&エラーを重ね、自分の授業の質を高めようとする教員もそうでない教員も、給料が同じというのが現状です。これでは教員が授業力を向上させても、金銭的なメリットがありません。

「聖職者」なのだから努力して当然、という考え方もわからなくはないですが、先日埼玉県などで教員の早期退職に対する批判が出た問題がありました。教員も労働者という側面があります。

もちろんそういう領域を超えた、本当に尊敬すべき教員も沢山いますし、現場で私もそういった方に育てられてきました。ですが、全ての教員にそれを求めるのも酷な面もあると思っています。

CELTAやTESOLなどを留学して取得した先生、授業改善に努め授業の質が上がって生徒の英語力向上に貢献している先生にはインセンティブがあってもいいように思います。

ただ、授業の質をどう評価するかという課題はありますが、ここではその論は避けます。

(資料として)教員の給料算定方法

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日本の教員免許システムとしては大まかに3種類の免許があり、それぞれ二種(短大卒)一種(大卒)専修(院卒)です。

もし新卒で同じ年度に就職すると二種の人は短大卒で20歳、一種の人は大卒で22歳、専修の人は24歳になります。その年齢(一部経歴での補正あり)を基に、給料表から額が決まります。

上記新卒の例だと、二種の人でも4年間勤務して24歳になると専修の人の1年目と同額の給料になります。中には、専修の方が給料が多くなるシステムを採用する学校もあるようです。

このシステムでは、院卒と短大卒でも実質的にはほぼ給料が一緒です。これもどうかという感じはしますが、現場での仕事内容を考えると院卒は「ハク」にはなりますが長い目で見たらそれほど役には立たないので、理解はできます。

そういった中で教員養成大学院の話が出ていますが、効果がどれだけあるかは個人的には疑問です。

現場教師への評価基準の問題

教科指導力は、現在の日本の学校での教員評価にあまり関係ありません。評価基準は、

  1. 生徒指導力
  2. 事務処理能力
  3. 教科指導力

のように私は感じています。その中でも1の比率がとても高く、生徒指導力至上主義といっても差し支えないです

ものすごく極端な話、授業内容は指導書丸読み聞かせでも、クラスで問題が発生しなければ実質OKです。

生徒が自主的に塾に通い、受験に差し支えない成績がつけば保護者からクレームもなく、問題が無いので評価も高くなります。

しかし生徒指導ができないとクレームが付くと、教科指導力があっても教員失格の扱いです。

桜宮高校の事件では、この生徒指導力偏重の傾向がよりクリアです。強い部活の指導者が学校内で校長よりも力をもつ、といった状態は組織として問題があります。

対生徒では、「厳しい部活顧問」というブランドが学校内部でできあがると、自然と子どもは言うことを聞くようになります。理不尽な要求だったとしても、生徒は我慢して聞かなければなりません。

私も部活面で成果を上げる素晴らしい教師を沢山知っていますが、そういった例とは違って、この事件の背景には指導力偏重があると言えなくもないと思っています。

学校の教師もつらいよ

さらに年々言われているように、教師に求められる仕事が年々増えています。家庭での躾が学校にアウトソースされ、現場の教員への負担が高まっています。

そういった中で、自ら教科指導能力をあげようという努力をしにくい環境が出来てしまっているのが、ある意味で日本の英語教育の問題の一つとなっていると思います。

次回は、私がCELTAを受けた後に見方が変わったので、英語教師にどのレベルの英語力が必要か、私なりの意見を述べたいと思います。