photo by Tatsuo Yamashita

TOEICを知らない人は日本人英語学習者にはいないと思う。特に日本では年々受験者が増え、2014年は過去最高を更新し、260万人以上の受験者を記録した。

だが、そのTOEICの成り立ちを知る人はそれほど多くないと思う。その名前のせいで多くの人がアメリカ生まれのアメリカの試験だと勘違いしているのではないだろうか?

TOEICは実は日本人が作った試験で、「TIME」で有名なTIME Inc.のアジア総支配人だった北岡靖男氏(故人)が、「これからのグローバル時代に向けて、日本人の英語によるコミュニケーション能力をきちんと測るアセスメント(評価基準)が必要」とのことで、TOEFLで有名なアメリカのテスト開発機関であるETS(Educational Testing Service )に依頼して1970年代に作ったものだ。

元TOEIC社長との出会い

あれはたしか2004年……今から10年以上も前のことだ。

ひょんなことから知り合ったアメリカ人から仕事を手伝って欲しいと言われて、とあるアメリカのベンチャー企業に入社することになった。

面接もなく、採用されてから履歴書を提出したという実にいい加減なものだった。また給料もドル払いだったし、自分自身も「ベンチャーってなに?食べられるの?」という程度の知識しかなかったが、面白そうだったので参加することにした。

その会社が取り扱っていた商品が英語学習ソフトだったので、その流れでアメリカ人に引き連れられて元TOEICの社長と会うことになった。

それが北岡さんの跡を継いで株式会社国際コミュニケーションズの社長となった坂井修さん(故人)との出会いだった。

今でも鮮明に覚えているのは、初めてお会いした場所が渋谷の鰻屋であり、そこの鰻がとても美味しかったということだ。

まさかその坂井さんの会社に自分が入社することになるとはそのとき夢にも思わなかったし、元TOEICの社長と言われても、正直ピンと来ていなかったことを正直に告白しておく。

当時入社したアメリカのベンチャーは、日本で活動しているのは自分とそのアメリカ人の二人だけだった。だから、人手が足りなくなるのは目に見えていたので、もう一人日本人を雇うことになった。

採用を任された自分は妻の友人の紹介で英語とフランス語を流暢に操るHさんという女性をそのアメリカ人と引き合わせて、採用することになった。

自分たちはオフィスを持っていなかったので、坂井さんの好意で彼の半蔵門のオフィスにスペースを間借りすることになった。それから坂井さんとの本格的な付き合いが始まった。

細かい経緯はここでは割愛するが、半蔵門のオフィスで働き始めて数ヶ月経って色々なことが起こった。そこであろうことか自分を採用したアメリカ人があっさりとクビになって、アメリカ本国へと帰って行った。

Hさんと二人、路頭に迷うところだったが、事態を聞きつけた坂井さんが「僕が二人を雇うよ」とひどくカジュアルに告げ、株式会社国際コミュニケーションズのあとに坂井さんご自身で設立したライトハウス社にお世話になることになった。

会社といっても坂井さん個人の会社だったので、Hさんと自分を含めても合計3人だけの会社だった。そのあとバイトを含めても最大5人にしかならなかったし、3年ほどお世話になったが、結局最後まで残ったのもこの3人だった。

その3年間の間にビジネスを進めるにあたって必要なことを多く学んだし、6年前に起業してなんとかまだ食べていけているのもその経験があったからだと言える。

それに何しろ3人しかいない会社だったので、公私ともに仲が良く、坂井さんにはよく飲みに連れていってもらったし、自宅にも何度も招待された。

坂井さんとは自分の母親と1歳違いだったので親子くらい年が離れていたが、常に「松岡さん」と呼ばれ、対等に扱ってもらった。呼び捨てにされたことなど一度もない。

坂井さんが時々「本当に二人に出会えてよかった!僕はとてもラッキーだ」と自分とHさんに言っていたが、当時はこちらが感謝する立場であり、感謝される謂れはないと思っていた。

起業して6年経ち、坂井さんと比べれば経営者としてたいした経験もないが、今ならなんとなく彼が言わんとしたことがわかる。魑魅魍魎がばっこするこの世界で、「馬鹿正直者二人」の存在は貴重だったのだろう。

次回はその坂井さんから聞いたTOEIC設立の経緯について語りたいと思っている。

著者プロフィール

松岡 祐紀 Entrepreneur & Photographer

19歳でスコットランドの首都エディンバラに留学後、NYに渡りスタジオアシスタントを経験し、そのあとロンドンに2年住む。帰国後は、雑誌や広告などのフリーランス・フォトグラファーとして活躍する。

その後、30代より起業を志すようになり、2006年のノーベル平和賞受賞者であるムハマド・ユヌス氏の「ソーシャルビジネス」という理念に感銘を受けて、2009年に株式会社ワンズワードを起業する。

そして、2009年12月よりレッスンの質の高さを売りにしたオンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」を立ち上げる。順調に生徒数を伸ばし、事業が軌道に乗ったことを機に、2011年よりブエノスアイレスへと移住する。

ブエノスアイレスでは2年かけて、スペイン語とタンゴを身に付けた後、世界一周の旅に出て、ヨーロッパ、アジア、それにアメリカ大陸を約7ヶ月かけて旅をする。

そして、その途中で立ち寄ったメキシコのこれからの可能性に惚れて、2013年7月より第三の故郷としてメキシコシティに居住する。

2014年3月にはメキシコを含めた中南米・南米の英語学習者のためにスペイン語版、ポルトガル語版、それに英語版のオンライン英会話スクールを立ち上げる。

現在は、ブエノスアイレス、メキシコシティ、それに日本を行き来して、ソーシャルビジネスの理念の普及と事業拡大を目指している。