photo by George Grinsted

こんにちは!フリーランスの現役英日翻訳者、ランサムはなです。いつもご覧いただき、ありがとうございます!前回は、北海道富良野市で10年間暮した後、再びアメリカに戻る決意をするまでをお話ししました。

今回は、10年ぶりにアメリカに戻り、医療保険に加入する必然性から社内翻訳者になったときの体験をお話ししたいと思います。

某技術会社の社内翻訳者に応募。

前回の記事にも書きましたが、アメリカには日本の国民健康保険に相当する制度がありません。民間の保険に個人で加入するか、大企業や学校などに所属して、福利厚生として団体医療保険に入れてもらうしかありません。

しかもアメリカは医療費が法外に高いのです。日本の医療費にゼロを2つか3つ足したぐらいの請求が来ます。日本では救急車は無料ですが、アメリカでは救急車を呼ぶだけで20万円近くの請求が来ます。

保険に入っていても、数十万円の自己負担額を先に払い、上限を超えた分を保険会社に負担してもらいますが、審査の結果、保険が下りない場合もあります。

保険に入っていない場合はさらにひどく、数日入院するだけで数百万円、数千万円の請求が来ることもザラです。

10年間のブランクを経てアメリカに戻り、年齢も若くなく、既往症もあり、さらに個人事業主で大企業の後ろ盾がない私たちは、なかなか医療保険に加入できませんでした。

困り果てていたときに、たまたま地元オースティンの技術会社が日本語の社内翻訳者を募集しているのを見つけ、わらにもすがる思いで応募したところ、拍子抜けするぐらいあっさり採用が決まりました。

こうして私は念願の団体医療保険の保険証を手にしましたが、何とも複雑な心境でした。

私自身は何も変わっていないのに、大企業に所属しているというだけで保険会社の対応が手の平を返したように変わってしまったからです。大企業の会社員であるということは、水戸黄門の印籠を持っているようなもの。

社会的にずいぶん守られているのだなと実感しました。守られている安心感を味わう一方で、ずっと社内翻訳者を続けられるかどうかは、私としては正直自信がありませんでした。

フリーランスから会社員になることの不安

一般に、多くの翻訳者は、社内翻訳者→フリーとして独立というコースを辿ります。フリーランスから社内翻訳者になるという逆コースは、皆無ではありませんが少数派です。

人によっていろいろな理由があると思いますが、私が会社員になることに関して抱いた懸念は次の3点でした。

  1. 社内翻訳者の給与が低い。
    諸経費や保険などを差し引かれると、手取りがフリーランスで仕事をしているときの半分以下になってしまうが、それでやりくりできるのか。
  2. 会社員として社会に適応できるのか。
    今まで通勤もなく、スケジュールを自由に組み、気ままに過ごして来た時間が長いので、通勤ラッシュ、同僚や上司との人間関係、飲み会などの付き合いがストレスにならないか。
  3. 今まで培ってきた多数の取引先との関係をどうするか。

とはいえ、アメリカの会社の正社員になるというのは初めての経験なので、新しいことに挑戦するのが楽しみな部分もありました。

日本なら企業への再就職は難しいだろうと言われる年齢で採用通知を出していただけただけでもありがたいことです。期待と不安に胸を膨らませながら私は会社勤めを始めました。

アメリカの企業での社内翻訳者としての生活

アメリカの企業での日々は、一匹狼で長いこと過ごして来た私にとって、珍しいことの連続でした。まず、メールの量がハンパじゃない!

一人で作業をしていると、メールは全部が自分宛ですが、会社では自分に直接関係のないメールも「CC」されて大量に舞い込んで来ます。この膨大な量のメールをより分けるのが、私には一仕事でした。

そして社員がとても大事にされていると感じました。広々としたキュービクル、社員食堂、社員向けのジムや医務室も完備。もちろん完全週休二日制。社員感謝デーにはTシャツや会社のロゴ入りノベルティを配布。

無料の朝食や軽食が出ることもよくありました。会社にごちそうしてもらう経験がなかった私は、至れり尽くせりの待遇だなあと感激しまくりでした。本当に手厚い待遇だったので、外の世界を知らなかったら、ずっとここで働いてもいいと思ったかもしれません。

社内翻訳者の仕事とフリーランス翻訳者の仕事の違い

会社組織としては申し分のない待遇でしたが、実際の翻訳者としての仕事内容は、残念ながら私にはあまり合いませんでした。まずフリーのときと大きく違うのは、翻訳以外の雑務に追われる時間が非常に多いということでした。

膨大なメールへの対応、社内開発しているアプリの不具合レポートの作成、ミーティングなど、何かと他のことに時間を取られ、翻訳作業をしている時間が圧倒的に少なかったのです。

また、翻訳の品質について、読み手であるお客様からお褒めやお叱りの言葉をいただくことが一切ないのも私には寂しく思えました。

お客様あってのサービス業という意識で取り組んで来たので、社内で仕事が完結し、客観的なフィードバックをもらう機会がないという環境は、間違った方向に進んでいても誰も指摘してくれないということであり、独りよがりに陥る可能性もあるのが、私にとっては恐ろしいことでした。

でもメリットもたくさんありました。個人で仕事をしているときには高額で手が出なかったソフトウェアに触らせてもらえたり、自社製品について勉強する時間が与えられたことで、技術的な専門知識が深まりました。

フリーのときは広く浅く学習することが必要でしたが、1つの製品にじっくり取り組むこともできました。

また、翻訳に付随する挿絵などのアートを処理する方法を教えていただいたことや、原文を執筆するテクニカルライターに直接質問をしたり、他言語の翻訳者さんとの交流の機会が与えられたりしたことは非常に貴重な学習経験となりました。

規則正しいスケジュールで生活を送ったことは、結果的にアメリカに社会復帰するのにも役に立ったように思います。

社内翻訳者からフリーランスに復帰

結局私は、2年と2か月会社勤めをしました。辞めることになって安定した収入と会社の後ろ盾を失うことは残念でしたが、5年後も同じ会社で働いている自分は想像できませんでした。

また、フリーに戻る気があるのなら、これまで培ってきた30社もの取引先にこれ以上迷惑をかけることは好ましくないとも思いました。

辞めた後、フリーの翻訳仲間に「今辞めてよかったと思いますよ。あまり長い間会社に留まっていると、フリーに復帰できなくなっていたかも」と言われ、そうかもしれないと思いました。

医療保険への加入実績を作るという目的は達成できましたし、社内翻訳者として貴重な経験もさせてもらえて、よかったと思います。