photo by PROAnton Strogonoff

こんにちは。前回の記事では国際大学院のクラスメートをご紹介しましたが、今回は大学院生活を通して出会った友人たちについてお話ししたいと思います。

「過去によって自分を決められたくない。未来を生きるためにここにいるんだから」

まずは、ソウル市内の名門大学に通うW。Wは前回ご紹介したRの親しい友人で、Rを通して知り合いました。

難解な哲学書や論文をさらりと一晩で読み終えてしまう聡明さを持ちつつ、カラオケとお酒と可愛い女の子が大好きで、ひょうきんでお調子者な一面もある、W。

一見どこにでもいそうな普通の韓国の若者ですが、Wは北朝鮮の出身です。北朝鮮からの亡命者は10〜30万人に及び、そのうち3万人弱が韓国で生活をしていると言われています。

Wはその1人ということになりますが、韓国で生活を始めたあと、イギリスに数年間留学しており、きわめてユニークな経歴の持ち主ともいえます。

とはいえ、Wとそこらへんの話をしたことはほとんどなく、ただただRと3人で一緒に楽しくお酒を飲んだり、Wがふっかけてくるテーマについてぐだぐだ議論しあったり、Wの愚痴を聞いてあげたりと、可愛い弟のような気持ちで、私はWに接していました。

ある日、私は高麗大学の学生サークル主催のイベントに参加し、ゲストスピーカーだったある「脱北者」(*)の講演を聴く機会がありました。その人は、自分がいかにして北朝鮮から逃れ、韓国にたどりついたか、その数年間の過程を語ってくれました。

それまでも、「脱北」については間接的に、あるいは書物を通して一定の知識を持っていたつもりではありましたが、実際の経験談を当人の口から聴くのは初めてで、ものすごく大きなショックを受けました。

(*「脱北者」という名称自体にも、賛否両論含めて、いろいろな議論があります。そういった背景も含めて、文中では「」つきで使用しており、このエッセイではその名称に対する私自身の考え方について触れるつもりはありません)

が、その話をやや興奮気味でWにしたところ、「自分は過去を売り物にするような真似はしたくない」と拒否反応を示されました。

「過去にどういう経験をしたかが、なんだっていうんだ?どうして過去の自分に今の自分が規定されなくちゃいけないんだ?自分は未来を生きるために、ここにいるのに」

Wは「脱北者」としてくくられることを、とても嫌がります。「自分は自分だから」と。私はWと似た過去を持つ人を多くは知りませんが、「脱北者」の友人を数多く持つRは、Wは他の人とはまったく違う考え方をする、といいます。

多くの「脱北者」は、韓国社会に馴染むために「韓国人」になろうと、努力をします。Wいわく、彼も以前はそういう時期があったそうですが、イギリスでの経験も経て、「自分は自分でしかない」という考えに至った、とのこと。

私はアイデンティティが専門なので、ある一定の人々をカテゴライズすることや、そういったカテゴリーに付与されるステレオタイプにはとても強い拒否感を持っています。

もちろん、カテゴリーやステレオタイプの実用性?もすごくよくわかります。あまりに未知な存在に対して、理解の手がかりとなるようなものに飛びついてしまいたくなる衝動を私自身も持っています。

ですが、そういうカテゴライズやステレオタイプは、ときに、その人がその人らしくあろうとする姿を根本から否定してしまうし、傷つけることにもなるんだと思います。

ある意味で、常にそういう闘いをひとりで続けているようなWと時間を共有したことで、より一層その気持ちが強くなりました。

「自分は自分」という芯を持つ

次は、韓国人のご主人と、ふたりの娘さんとソウル郊外で暮らしている、在日コリアン(*)3世のHさんをご紹介したいと思います。

私の修論のテーマは、在韓在日コリアンの方々のアイデンティティー。知人友人の紹介を介して約20人ほどの方に実際にお会いして、インタビューにご協力いただいたのですが、Hさんとはその過程で知り合いました。

(*在日コリアンという名称にも議論があります。私自身は最も中立的かつ適当な呼称ではないかと考えているため、この単語を使っています)

Hさんは透けるように白くて滑らかな肌と、表情豊かで相手をまっすぐ見つめる瞳、凛とした振る舞いが印象的な方。

とても上品で、優雅なマダム風に見えながら、家事育児をしつつ、通訳、翻訳、ライティング、日韓ビジネスのコンサルティングなど、幅広いお仕事も同時にされている、ものすごくパワフルな方です。

ご主人の日本駐在中には、当時まだ赤ちゃんだった娘さん(と小学生の娘さん)を抱えながら大学院に通い、MBAを取得!

その話を伺ったときは仰天すると同時に、母かつ院生という共通点がとても嬉しく、そして自分なんてまだまだだと、大いに励まされました。

修論のインタビューではライフヒストリーを伺うので、その方のこれまでの人生全般についてお話を聞かせていただくことになります。

他の方々もみなさんそうでしたが、Hさんは特に濃いエピソードがこれでもかというほど出てきて、インタビューを終えたあとは、くらくらしてしまったほど。

その中でも印象的だったのが、ハワイ留学時代のホストファミリーの話。日系移民であるそのホストファミリーとHさんはとても親しくなり、いまでもやりとりが続いている、とのこと。

それまで地元関西の民族学校に通い、自身が在日コリアンであることについて考え続けてきたHさん。ホストファミリーのとてもシンプルで、カジュアルな日本の捉え方に、驚いたそうです。

「彼らはごくごくシンプルに、アメリカで生まれ育ったから、自分たちはアメリカ人、と言い切るの。そして、日本は自分たちの祖先がやってきた国。日本って食べ物も美味しいし、ショッピングも楽しくて、大好き、くらいの感覚なの」

もちろん、どの国にもかならず固有の歴史があり、状況があります。ですが、そのホストファミリーはHさんのバックグランドを尊重しつつも、HさんはHさんとして、何人であろうと関係なくそのまま受け入れてくれ、そのことにとても感激した、とのこと。

Hさんは日本に帰国後大学を卒業し、キャリアを積み、ソウルでの韓国語の語学留学、結婚、出産、ご主人の駐在による日本滞在(その期間中にMBA取得)を経て、現在に至っています。

韓国社会で生きていく中で、今でも在日コリアンであること自体を考え続けながら、それでも「自分は自分」という芯を強く持ち、とてもしなやかかつたくましく、新しい場に出て行くことを躊躇せず、その場その場で学び、吸収し、ご自分の幅をどんどん広げていく、Hさん。

その姿勢にはとても心を打たれるし、自分もそうあり続けたいと、強く思わせてくれます。

まとめ

私はもともと社会と個人の関係性にとても興味があります。

個人は社会の様々な制約から完全に逃れることは難しいものの、適度な距離を保ち、個人として生きることが可能だと信じたいと考えています。WとHさんとの出会いによって、その想いはより強くなりました。

また、日本と朝鮮半島の近現代の歴史が、ただ単に昔に起り、歴史として学校の教室で学ぶものではなく、今現在を生きる私たちの人生に、想像するよりもずっと直接的な、有形無形の影響を与え続けていることを、より強く実感するようになりました。

歴史を含め、個人は社会の制約から原則的には逃げられない。でも、その制約というのは、実はとても固有もので、決して絶対的なものではない。

いろいろな社会の、いろいろな固有の状況を知ることは、そのひとつの社会の制約から、私たちを少しだけ自由にしてくれます。

そして、そのために、英語はとても有効なツールです。あくまでもツールでしかないけれど、でもそれを持つか持たないかによって、見えてくるものが変わってくる。

だからこそ、私は英語を学んできてよかったと心から思うし、これからも学び続けていくつもりです。