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こんにちは、上田裕美と申します。2010年より4年ちょっと、韓国ソウルで生活をしていましたが、昨年末に帰国し、今は新米通訳案内士・通訳として、新しいキャリアをスタートさせたばかりです。
今年の春は日本のインバウンド市場が大盛況だった恩恵にあずかり、新人の私もツアーを任せてもらうことができ、英語ネイティブを中心とした多国籍のゲストたちを引き連れて、関西を中心にまわってきました。
心身ともにハードではあるものの、とても楽しくやりがいのある仕事なので、これからもっと経験を積み、仕事の幅を広げていきたいと思っています。
さて、こうして今はどっぷり英語を使う仕事をしていますが、今回の記事では、そもそも私がどうして今の英語力を身につけるまでに至ったか、自己紹介も兼ねて、これまでの英語学習歴と、英語学習に対する考え方について、お伝えしたいと思います。
英語を学ぶと、何が変わるのか、どういう世界が見えてくるのか
よく言われるように、英語学習では動機が最も大事です。といっても、英語を学ぶ理由を明確に説明できなくてはいけない、という意味ではありません。
それよりも、英語を学ぶことによって、何が変わるのか、どういういいことがあるのか、その先にどういう世界が見えてくるのか、そのイメージを具体的に持てるかどうかが、より重要です。
私にとっては、「英語ができるようになること」はそのまま、「英語を介してしかコミュニケーションをとれない相手と会話ができるようになること」、そして、そのコミュニケーションを通して、「新しい居場所を手に入れること」でした。
一英語学習者の事例として、私にとって英語を学ぶ強い原動力となったそのイメージはどんなものだったか、そして、その後一定の英語力を身につけたあとに実際に見えてきたのはどういう世界だったのかについて、お話したいと思います。
高校1年の夏、カナダのカルガリーで英語で意思表現がまったくできなかった経験が、英語を本気で勉強するきっかけに
さて、私がこれまでに集中的に英語を勉強した時期は以下のとおり、4段階あります。
- 大学入試のための、高校1年秋以降の受験勉強(10代後半)
- 大学在学中の、英国立バーミンガム大学への1年間の留学(20前後)
- 英検一級および通訳案内士取得のための、独学(30前後)
- 韓国の国際大学院における修士取得(30代前半)
最初の段階に突入する直前の高校1年の夏休み、学校主催の夏期集中英語プログラムに参加したことが、私にとって、英語を本気で勉強することを決意した原体験になりました。
この経験がなければ、ひょっとしたら、その後猛烈な勢いで英語を勉強することはなかったかもしれません。
このプログラムでは、学校が提携していたカナダのカルガリー大学に2週間滞在し、付属の英語教育機関で、毎日英語の授業を受けました。
ですが、当時の私に強烈な印象を残したのは英語の授業自体ではなく、カルガリーでの生活そのもの、そして、現地の同年代の女の子たちとの交流でした。
プログラム参加者は、学校の指導に従い、カナダへの渡航半年前から事前準備を始め、その一環として、ひとりひとりに現地の同世代の女の子が紹介され、彼女たちと文通をすることになりました。
そして、カルガリーでの初対面のあと、現地滞在中は彼女たちと過ごす時間が沢山用意されていました。
校則が非常に厳しい学校だったこともあり、私たちはみな黒髪で、化粧っ気もゼロ。今の東京だったら、中学生か、うっかりすると小学生に見られるんじゃないかというくらい、純朴な風貌。
一方、現地の女の子たちはばりばりの化粧にピアス、大人っぽい格好で、スマートで洗練された振る舞い。それから、多民族国家カナダを象徴するような、バックグラウンドの多様さもとても印象的でした。
私が文通をしていた女の子も、父親がドイツ、母親がフランスからの移住者でした。
そんな彼女たちと一緒にシネコンでポップコーンをほおばりながらハリウッド映画を見たり、大型ショッピングモールでお買い物をしたり、ハードロックカフェで出てきた巨大なコーラとハンバーガーを驚きながら平らげたり、大きな家の広々とした庭で週末行うバーベキューパーティーに招待してもらったり(当時の日本には都内でもまだシネコンも大型ショッピングモールもなかったのです!大流行だったハードロックカフェは六本木にありましたが高校生には遠い存在でした……)。
当時の私には、カルガリーでの経験すべてが輝かしく映り、強烈な憧れを抱きました。彼女たちのこと、そして彼女たちが属している世界のことをもっともっと知りたくなりました。
それなのに、その気持ちを十分に表現する英語力が、私にはまだなかったのです。勉強の科目ではなく、目の前にいる人とコミュニケーションする手段として英語を使える喜びを初めて感じながらも、全然思うように英語がでてこなかった。
それがもう悔しくて悔しくて、そのとき、もっと一生懸命英語を勉強して、上手になって、英語でも自由に会話ができるようになりたい、そして、もっと沢山の知らない世界を見て、そこに属する人たちと会話をしたい、と強く強く思いました。
その勢いで受験勉強に突入し(上記の4段階の、最初の時期(1)に該当)、他の科目はともかく、英語だけは本当に一生懸命勉強しました。
特に、英単語・英文法・長文読解には毎日必死で取り組みました。幸いよい塾と先生に出会えたこともあり、英語学習自体が楽しくて、たぶん1日5~6時間くらいは費やしていたのではないかな、と思います。
私には、大学に進学し、将来英語を使う仕事につくための勉強をし(その職業が具体的には何なのかはまったくイメージできていないあたりが高校生なのですが……)、留学をして、英語が「ぺらぺら」になるんだ、という非常に曖昧な、でも自分にとってはとても強い動機があったので、ただひたすら情熱的に勉強に取り組んでいました。
留学先のイギリスの寮で出会った友人たちを通して、見えてきた世界
そのような猛烈な受験勉強を経て、晴れて志望大学に合格し、大学3年の春、今度は英国立バーミンガム大学に留学することになりました。現地では大学院生向けの寮に入り、世界各国からの留学生たちと、生活を共にすることになりました。
もっぱら机上の勉強に集中していた(1)の時期とは対照的に、(2)の時期には、留学先での大学の勉強はそっちのけで、現地で出会った友人たちとの時間を何よりも大切にしていました。
この寮に入った時点で、しかし私の英会話力は本当に心もとないレベルでした。話していても、しょっちゅう単語がわからなくて、言葉につまってしまう。
それでも、念願のイギリスに留学できたという喜びと、目の前にいる相手と話をしたい!という気持ちだけは溢れんばかりに持っていたので、共用のキッチンでフラットメイトをつかまえては、電子辞書を片手に、夢中でおしゃべりをしました。
寮生活を共にしたフラットメイトの皆を私は大好きでしたが、特に印象的だった何人かについて、ここで紹介したいと思います。まずは、今も連絡をとりあっている、大親友のジャッキー。
長い黒髪の三つ編みと眼鏡の奥に見える大きな瞳がトレードマークの彼女は、アフリカ系アメリカ人。とても敬虔なキリスト教徒で、母親との週一度の電話でのおしゃべりを楽しみにしている、好奇心が旺盛で、非常に知的な人。
彼女は沢山のことを教えてくれました。エッセイの添削などの英語面でのサポートはもちろん、日本で日本人として生きてきたことが当たり前だった私に、彼女はアメリカでアフリカ系として生きることについて、話をしてくれました。
自分の意思では選べないことを、社会の中で背負っていくこと、またその重みについて、私が今でも深い関心を持っているのは、彼女の影響です。ギリシャからの留学生で、観光業を学んでいたレオナルドには、最初はそんなによい印象は持っていませんでした。
むしろ、なんだか意地悪な人みたいだから、ちょっと距離を置いたほうがいいかな、と敬遠していたくらい。でも、私がロンドンの美容院で金太郎みたいな髪型にされて寮に戻ったとき、レオが大爆笑したことをきっかけに、急に仲良くなりました。
金髪に薄いブルーの瞳に、彫の深い顔立ち。黙っていたら正統派の美青年のはずなレオは、人をからかうのが大好きで、いつも誰かの揚げ足をとっていて、あげくやりすぎて、しょっちゅう寮内の誰かしらとやりあっていました。
噂話も大好きで、ちょっと面倒なおばさんみたいな性格。でも家族を本当に大事にしていて、家族の話をするときだけは、すごく優しい表情になるのが印象的。レオからはいつもポジティブにいること、人生を楽しむことを教えてもらいました。
新婚旅行で訪れたアテネで再会したときは、前職で無理して体調を崩してしまったことを話すと、「つらいことがあったら、すぐ逃げればいいんだ!人生は楽しむためにあるんだから」と叱られました(でもギリシャの経済状況を見ると、そうやって考える人の割合が多すぎると、国家としては大変なのかも?とちょっと心配になりましたが……)。
南アフリカの政府から派遣され、公共政策を学んでいたナシシは、寮のみんなの母親的な存在でした。背が高くて、いつも縮れた黒髪をひとつにまとめていて、背筋をぴんとはっていて、誰よりも落ち着いた物腰。
彼女は実際に寮内唯一のママで、母国の妹に幼い息子さんを預けて、イギリスに来ていました。彼女はシングルマザーで、息子さんの父親の男性には一切頼らず、自分が家族を支えていくんだ、と話してくれました。
料理がとても上手で(特に鶏肉の煮込みが絶品!)、定期的に寮内で開いていたパーティーでは彼女の料理が真っ先になくなってしまって。
彼女は、その後、息子さんごと受け入れてくれる男性が現れ、その人との間にも子供を授かり、幸せな家庭を築いていましたが、数年前、突然の事故で亡くなりました。
自分が母親となった今、まだ赤ちゃんだった息子さんを置いて国のために留学をした彼女は、あのときどんな気持ちでいたんだろうと、ときどき考えます。
それから、突然人生が終わる可能性が常にあることも。彼女が存命中には訪れることができなかったアフリカの大地にも、いつか必ず行ってみたいと思っています。
このように、(2)の時期には、英語を通して、新しい世界がどんどん見えてきて、それによって、自分の世界をどんどん広げていけることを学び、そのことに夢中になっていて、ただただそれを楽しんでいました。
英語ができると、世界が広がり、新しい居場所を手に入れることができる
カナダのカルガリーで垣間見た、それまで知らなかった世界に魅せられ、私は英語を学び始めました。
そして、イギリスのバーミンガムでは、英語を通して、寮で出会った友人たちがそれまで属してきた世界を知ることができ、同時に、第二の家族とも思わせてくれる人間関係を、彼らと築くことができました。
異なるバックグラウンドで育ってきた彼らとの交流は、知らず知らずのうちに日本の常識なるものに縛られていた私のがちがちな固定観念をほぐしてくれ、よりやわらかく広い視野があることを教えてくれました。
英語が机上の勉強だけではなく、現実の人とコミュニケーションをとる手段であることを実感する。英語の勉強を続けると、見えてくる世界があることを信じ、実感できる。
そのことこそ、継続的に英語を勉強する、一番強い動機となりえるのではないかな、と私は考えています。