photo by Christopher Holden
こんにちは。前回は入学直後から院の雰囲気と英語環境に戸惑い、ガチガチのまま新学期をスタートした経緯までをお話ししました。今回は、そこからどうやって立ち直っていったかについて、になります。
入学してから2ヶ月ちょっとがたった頃、抱えていた劣等感を決定的にした出来事がありました。が、今振り返るとそこがどん底。どどんと落ち込んだあとは上がっていくだけなので、なんとか回復し、その学期を終えることができました。
回復していく最中で初めて気づいたのが、新生活に苦労していた理由は、必ずしも英語力だけが問題ではなかった、ということ。
<それまでの自己認識>
- とにかく英語力が全然だめ(根拠のない全否定?)
<実際の原因>
- 全般的な英語力が院のレベルに到達していなかったわけではなく、主にスピーキングおよびライティングに課題があり、それも慣れの問題が大きかった
- 単に新生活で極度に緊張していた
- 信頼できる友人がいなかったため、その緊張をほぐす場が院の中で持てなかった
- 英語力というよりも、単に授業の内容に興味を持てなかったため、やる気が出せなかった
- 同じく英語力というよりも、単に性格が合わないため、相手を理解しづらかった
つまり、英語力で克服すべき課題はあったものの、それはむしろ一部だった。院生活全般が円滑に進んでいなかった原因は他にいろいろあったのに、すべて英語力が低いせいと決めつけてしまった。
そして、そもそもそこらへんの根本的な認識が誤っていたために、状況を改善させようとじたばたしたところで、一向に解決につながっていなかった、ということがわかりました。
国際経済学のグループワークで、ストレスがピークに
さて、そのどん底を自覚(?)したのは、国際経済学のクラスのグループワークでのこと。韓国の教育機関の特徴らしいのですが、国際大学院の必修科目クラスは、とにかくグループワークが多い。
プレゼン程度ならまだしも、レポートまでグループで書かせるクラスもあり、学生の間でも大不評。
国際経済学は、経済学の知識ゼロかつ数字への苦手意識で、英語以前の問題で、もっとも苦労していたクラス。週3時間の講義を理解するために、毎回予習にかなり時間を割かれていました。
グループワークでは、4〜5人のグループ単位で、学んだ理論をもとに、自分たちでテーマを決め、20分程度のプレゼンをすることが課題。
私はカナダ、チュニジアからの留学生と、韓国の学生との4人グループになり、韓国の朴正煕政権時の経済政策をテーマにすることに。
カナダからの留学生は、ゆくゆくは博士号を経て教授職を得るのを目指していて、知識が豊富でディスカッションも得意。
チュニジアからの留学生は、父親が外交官で幼い頃から外国を転々とし、特にアメリカ生活が長いため英語はネイティブ、かつ学部では経済学が専門。
韓国の学生の女性はプレゼンスキルのコンサルタントで起業しており、英語もプレゼンスキルも抜群。最強メンバーで心強いことこの上ないのだけれど、萎縮しきっていた私には、グループワークの時間がものすご〜く苦痛。
ディスカッションでもみんなの話していることが理解できず、そのくせちゃんと質問もできずに抱え込み、ますますの悪循環。
そのうえ、メンバーの中の一人との意思疎通がどうもうまくいかず、ある日その彼女に「そんな言い方するなら、このグループに私はいらないんじゃない?あとはあなたが勝手にやれば」と言われ、どかんと落ち込んでしまいました。
彼女は、その時点で、仲良くなれそうかも?と淡い期待を抱いていた数少ない一人。
それまでフレンドリーに見えていた彼女が唐突に態度を硬化させた理由がまったくわからず、「きっと私が彼女の英語を聴き取れず、私の話す英語も拙くて彼女に伝わっていなかったせいで、今までもいろいろと行き違いがあったに違いない」と思い込み、その一言で、今まで誰に言われたわけではなく抱えていた英語でのコミュニケーションへの劣等感が決定的になったように感じてしまいました。
ここらへんが、おそらくどん底。新学期からのストレスがピークに達し、情緒不安定状態に。ただ、落ちたらあとは上がるだけなので、この後はいくつかのきっかけがあり、段々楽になっていきました。
堂々と振舞っているように見えた友人も、実は院生活に悩んでいた話を知り、緊張が和らいでいくきっかけに
まずは、グループ内の韓国の女性と親しくなったこと。
一人のメンバーと揉めた前後に、グループワークの担当で彼女とふたりで準備をする時間があり、作業の合間に雑談を交わすうちに話が盛り上がり、準備そっちのけでお互いの心境を語り合うことに。
比較的年齢が近かった彼女は、いつも冷静で落ち着いていて、堂々とした振る舞いで院生活に馴染んでいるように見えていました。ところが、話してみると、実は彼女も私と同じように院の勉強に苦労し、仕事との両立に苦しんでいたとのこと。
私生活でも結婚という大きな変換点を迎えていたこともあり、多忙のあまり余裕がなく、パートナーに「もう(院を)やっていけない」と涙ながらに訴える、自己嫌悪の日々だったそう。
さらに、彼女が、育児との両立をしなくてはいけないはずの私がいつも落ち着いて、自信があるように振舞っていて、どうしたらそうできるんだろうと思っていたと聞き、びっくり。
このとき初めて、自分と同じように感じていた人は他にもいたんだ、ということに遅まきながら気がつきました。
そして、私が彼女の気持ちに気づいていなかったように、周りのみんなも私がびくびくしていることなんて気づいていないんだとわかると、気持ちがかなり楽になりました。
また、このときごたごたしてしまったメンバーの彼女とは、その後の付き合いで、単に自分とは合わないタイプの人だということが徐々にわかってきて、適度な距離を維持することで、快適な関係性を保つことができました。
韓国語のプレゼンで緊張する英語ネイティブの友人を見て、英語コンプレックスも徐々に回復へ
次に、韓国語のクラスで、ぺちゃんこになっていた自信を取り戻したこと。このクラスの友人たちと、信頼できる関係性が築けたこと。
国際大学院では、問われるのは英語力のみで、韓国語能力は求められません。そのため、韓国語学専攻を除き、韓国語クラスの履修も自由選択。ですが、せっかくならもっと韓国語を伸ばしたかったので、私は迷わず受講。
クラスは当然留学生のみで、ウズベキスタンから3人、カナダ、フランス、イギリスからそれぞれ1人、それに日本からの私で、計7人のこじんまりとした規模。
よく言われていることですが、韓国語は日本語と文法が酷似しているうえに、漢字から成立している単語が6〜7割を占めているため単語の暗記も比較的容易。
日本語ネイティブにはとても学びやすい言語です。そのため、日本語ネイティブの私はかな〜り有利。他のクラスでは小さくなっていた私も、韓国語クラスの中だけでは、リラックスして授業に臨めました。
特に、英語ネイティブ2人が韓国語に苦戦して、スピーキングの発表のときに緊張して顔を赤面させ、早口になったりとちったりするのを見て、私が英語のプレゼンで緊張するのも当たり前なんだと妙に安心して、肩の力が抜けるような気がしました。
週に3回クラスがあり、少人数だったこともあり、韓国語のクラスメートたちとは時間が経つにつれ、自然と親しくなっていきました。
誰もが英語を流暢に扱って当然という態度にも見える英語ネイティブが少なくなかった中、外国語を学ぶ難しさをわかってくれている彼らと一緒にいるのは、とても居心地がよかった。
特に、日本にも留学経験のある、イギリスからの留学生Rとは、これからも一生付き合っていきたいと思える、大事な友人の一人になりました。Rとのエピソードで印象的なのは、ちょうどどん底でどかんと落ち込んでいた頃のこと。
授業の後に寄った学内のカフェで、珈琲を飲みながら雑談を交わしているうちに、お互いの人生観にまで話は発展しました。が、どこかうまく言いたかったことを伝えられず、消化不良のようなもやもやが残ったまま、別れることに。
帰り道にバスに揺られながら、Rに「もっと言いたいことがあったんだけど、うまく英語が出てこなかった。英語がもうちょっとうまかったら、ちゃんと伝えられるのに」と未練がましくメールを送りました。
そして、それに対するRの返信は、「何言ってるの?裕美の英語に、全然問題なんてないよ。いってることは、いつも全部理解できるよ」と一言。
Rは何気なしに言った言葉なのだろうけれども、そのメールを見た瞬間、周囲の目を気にする余裕もなく、バスの中で号泣。
わーっと泣きながら、そんなことで号泣してしまう自分が、それまでいかに気を張っていたかを痛感し、不器用で生真面目すぎる性格がばからしくなって、同時に妙におかしくなってきました。
1学期目の成績はぼろぼろだったものの、2学期目以降はほぼオールAプラスで、奨学金フル免除枠を維持
結果として、1学期目の成績は、韓国語以外、芳しいものではありませんでした。が、次からは大変でも興味の持てる面白い講義を取ろうと決め、実行。
院内の人間関係が安定し、院生活のペースをつかみ、勉強に集中できる環境もできたことから、2学期目からは、ほぼすべてAプラスを維持。卒業まで継続して全額免除の奨学金枠も手にすることができました。
最初の2〜3ヶ月の苦労は自ら勝手に背負いこんだようなものだったので、今から考えると「一体なんだったんだろう」と苦々しく思いたくなる気分にもなりますが、新しい環境から受けるストレスに極度に弱い性格をはっきり自覚できたのを、今後の教訓として生かせばいいかな、と。
次回は、院で出会った印象深い人たちについて、お話ししたいと思います。