photo by Barnacles Budget Accommodation
前回の記事では、国際大学院で出会った教授や講師の先生方をご紹介しましたが、今回は友人たちの話をしたいと思います。
“What makes you different?” ベルギー育ちのフランス人Mから投げかけられた質問
“What makes you different?”
これは、院の友人Mから投げかけられた質問です。Mと、ソウルに遊びに来ていたMの弟と3人で、全州ビビンバが有名な明洞のお店でランチをしていたときのことでした。
彼女の両親はともにフランス人ですが、父親の仕事の関係でほとんどフランスには住んだことがなく、ベルギー育ち。ウガンダ、イギリス、日本、韓国、アメリカにも居住経験があります。
ダークブラウンでボリュームのあるふわふわの髪、少しグレイがかった水色の瞳に、いつも優しげな微笑をたたえた彼女は、院の中でもとびっきりの人気者。どこで見かけても、留学生、韓国人学生問わず、常に沢山の友人たちに囲まれていました。
国際色豊かな人生を送ってきた彼女は、一方でフランス育ちのフランス人なら当然知っているようなメインカルチャーを知らず、周りがフランス人だらけの環境だと、話題についていけなかったり、疎外感を感じることも少なくないそう。
ソウルのフラットメイトのフランス人にも、”you are not real French”と言われてしまったとか。
そのため、「いろいろなバックグラウンドを持つ人が混じり合っている環境のほうが、気が楽」で、どうやら自分は育った環境のために、「普通の」フランス人(そういうものがあると仮定して)とは違うようだけれども、自分以外の「どこか違う人」はどういうことがきっかけでそうなるのか興味を持ち、よく質問している、とのこと。
彼女とのこの会話が私にはとても印象的で、それ以来心を惹かれる人に出会うと、この質問を投げかけてみたくなります。
2年半の院生活では、Mをはじめとして、とてもユニークで’different’な友人たちとの出会いが沢山ありました。
「人と違うこと」が当たり前な環境と、そうではない環境
まず紹介したいのは、R。新学期に韓国語のクラスで知り合い、韓国学に選考を変えて以降は特に、院での時間のほとんどを一緒に過ごしてきた友人です。
Rは、バングラディシュ出身の父親とフランス出身の母のもとにイギリスで生まれ育ち、幼稚園から高校まではフレンチスクールで教育を受けています。
ちょっとカーリーな黒髪に、黒縁の眼鏡、いつもこぎれいな身だしなみに、柔らかい物腰で美しい英国英語を話します。
イギリス国内ではむしろ例外的なくらい、多様性が共存しているロンドンの、フレンチスクールで育ったRにとっては、「人と違う」ことは、高校卒業まではむしろ当たり前だったそう。
そんな彼が「将来仕事に有利かなと思って」コンピューターサイエンスを専攻に選び、進学した地方大学では、学生のほとんどがホワイトで、あまり異文化に興味もなく、慣れてもいない人が大半という、がらりと違う環境が待っていました。
戸惑いながらも馴染もうとして努力してみたものの、専攻にもその環境にも興味が持てず、1年でその大学を中退。
それから1年ほどバックパックをかついで世界各地を周ったあと、日本学専攻、韓国学副専攻でロンドンの大学に入りなおすことに。やや緊張して迎えた初日、いろいろなバックグラウンドの学生が混じり合う学内の雰囲気に心からほっとしたそう。
私が知り合ったときのRは韓国人や学外の友人がとても多く、学外の活動を精力的に広げていっている真っ最中だったので、その話を聞いたときは、Rにもそんな過去があったんだ、と少し意外でした。
留学生同志でかたまりがちになる院でRは異色で、韓国人の学生とフラットをシェアして住み、ジャーナリストや研究者の友人たちと韓国社会を英語で伝えるウェブサイトを作って運営したり、他大の脱北者が集まるサークルに入ってメンバーのサポートをしたり、音楽で南北コリアをつなごうとする団体で活動をしてスイス軍の協力の下JSA(北朝鮮と韓国の軍事境界線上にある共同警備区域)でコンサートを開いたり。
Rのおかげで、院の勉強だけで必死になっていた自分が少し恥ずかしくなり、机上の勉強だけではなく、実際に韓国で暮らすひとたちのことをもっと知りたいと、院にばかり向いていた視線が自然と外に向いていったように感じています。
「人と違うこと」にどう向き合うかが、その人を作る
MとRに共通しているのは、彼ら自身の育ってきた環境もあって、異文化にとてもオープンなこと。相手が同じバックグラウンドを共有していないことをごく自然な前提として、人と向き合う姿勢。
それは、私も大事にしていたいと思っていることでもあります。そして、そういう姿勢を身につけるためには、かならずしもふたりのような異色のバックグラウンドを持つことは、必須でもないと思います。
Mから冒頭の質問を受けたとき、ふと思い出したのが、私自身の小学校の頃の話。両親の方針で、私は当時毎晩20時が就寝時間(!)だったので、その頃放映していたテレビの歌番組(「ベストテン」とか?)やドラマを見ることができませんでした。
流行の歌や人気の歌手や芸能人をまったく知らなかったため、クラスメートとの会話についていけないことも多く、ひそかなコンプレックスを抱えていました。
数年間ぐずぐずと抱えていたそのコンプレックスは、高校に入って、流行とは関係なしにはっきりと自分の好きなことを持っている友人たちに出会ったことで徐々に解消され、「みんなが好きなことを自分も好きじゃなくちゃいけないわけではない。
人と同じである必要はないし、自分が好きなことを大事にしていけばいい」という考え方に変わっていきました(こんな当たり前すぎることに気づくまで、なんで自分は何年も悩んでいたんだ、と今では逆にびっくりするくらいですが……)。
その話をすると、Mは予想以上に面白がって聞いてくれて、院にいる他の友人たちの話も教えてくれました。
Mと同様誰にでもオープンで韓国人学生とも留学生ともオープンに付き合っているL(アメリカ)は、これまでの教育をほとんどホームスクーリングで受けてきたこと、韓国語もままならないうちからソウルのTHE ISSUEで初の外国人インターンを始めたK(日本)は、あまり外国に興味を持つ人がいないような保守的な土地に育ちながら、外国の映画や歌が大好きな父親の影響を受けて、海外に目がいくようになったということ。
Mがいう”different”というのは、何も奇想天外なことをやってのけるものすごくユニークな人というわけではなく、たぶん、何かがきっかけで、他の人はそうでもないかもしれないけれども、自分がとても好きなこと、大事だと思うことに気がついた人。
それから、意識して、その好きなことを大事に育ててきたことで、そこを軸として、その人らしさがにじみ出てきている人、ということなんじゃないかな、と思います。
そして、多くの場合、その始まりは「自分が何かしら人とは違う」という居心地の悪さや疎外感だったりもするのかな、と思います。
初めは必ずしもポジティブではないかもしれない感覚を、「それでもいいんだ」と肯定的に受けとめていけるようになる過程でもあるのかな、と。
次回は、大学院の外の友人たちの話をご紹介したい思います。