photo by Moyan Brenn

先日、2015年度通訳案内士の筆記(一次)試験合格発表がありました。筆記試験通過者は12月13日に行われる口述(二次)試験を受け、最終的な合否は2016年2月に発表されます。

さて、今回からは、私自身の合格までの経緯についてご紹介します。いろいろと事情があり、私の場合は2度目に受験をして合格するまで、以下のように3年の時間を費やしました。

  • 2009年:英検一級を取得、歴史能力検定を受験したものの、不合格
  • 2010年:ソウルで「韓国語」で一次試験を受験、韓国語以外の科目(日本地理、日本歴史、一般常識*1)合格
  • 2011年:東京で「英語」で二次試験を受験、合格(*2)

(*1:当時ソウルに在住していたため。また、試験運営を管轄している日本政府観光局によると、現在は科目の名称が変わっているようですが、当時はこの名称でした。現在の試験概要は公式の内容をご参照ください)

(*2:2009年に英検一級を取得していたため、一次試験の英語は免除)

初回の失敗は、他人任せの自分に合わない勉強法をだらだら続けた挙句、本番前に燃え尽きてしまったこと

前回の記事で触れたように、初めてこの試験を受けたのは2004年度。

その年の頭頃にこの資格の存在を知り、「これだ!」と一気に盛り上がった勢いで、深く考えずに専門学校の半年コースに申し込みました。そして、2月から毎週土曜日は丸一日試験対策の授業を受けることに。

ところが、最初の勢いはどこへやら、1〜2ヶ月も経つと毎週末の長時間授業に疲れが出てきました。

やめることも考えたものの、一括で授業料を納めてしまっていたこともあり、半ば惰性で学校に通い続け、いざ本番を迎える頃には完全にやる気を失っていました。一応試験だけは受けましたが、当然、不合格。

このときの敗因は、

  • 試験対策を自分で行わず、専門学校任せにしてしまったこと
  • 専門学校の推奨する勉強方法が自分に合わなかったのに、それを自分の努力不足だと決めつけてしまったこと

だと考えています。

この失敗は、その時点までの自分の勉強方法が、つねに他人任せだったから、ということにも起因しています。

それまではたまたま他人が提案する勉強方法(中学、大学受験のときに通った塾など)が自分に合っていたため、与えられた枠組みのなかで、示された道筋を辿っているだけで、自分が費やした時間と努力に見合う結果を得ることが出来ていました。

なので、あきらかにこの専門学校の勉強方法が自分に合わなかったにも関わらず、「自分がもっと真剣に努力をしないからいけない」「自分がだらしないからだめなんだ」と、当時は考えていました。

そして、そのまま必要以上に消耗してしまって、本来の力も発揮できないまま、結果を出せずに終わってしまいました。

このあと、会社の部署内での異動があり、新しい部署での仕事が面白くなり、その仕事に熱中していき、すっかり通訳案内士の資格については忘れていました。

再受験は、息子の妊娠と英検一級が免除要件になったのを知ったことがきっかけ

再びこの試験を受けてみようかなと思ったのは、2009年。会社を退職し、息子の出産予定日まで半年間時間ができたので、何かこの時間を使ってできることはないかな、と探していたときのことでした。

そのとき、英検一級が通訳案内士資格試験の一次試験(英語)の免除条件になったことを知り、それだったらまずは英検一級をとってみよう、と思い立ちました。

母が長年私に英検一級をとって欲しがっていたの頭にあり(母が私に何かを要求することはきわめて稀です)、20代最後の記念にもなるかな、という気持ちもありました。

そのとき、再び通訳案内士資格試験を受けるにあたって、決めたことは以下の2つこと。

  • なるべくお金をかけない
  • 無理のない範囲で試験対策に時間を使う

前回大金をつぎ込んで失敗した痛い記憶もあるし、このあと数年間仕事をできないかもしれず、そもそもそんなにお金の余裕もない、という事情がまずありました。

それから、前職で自分のキャパも顧みず無理しすぎてしまったこともあり、出産と育児を控えている身で無理はしない、というのも決めていました。

時間だけはたっぷりあったので、初回の受験時のこともあれこれ思い出し、当時の自分の失敗の原因を理解したのもこのときでした。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、次回以降、通訳案内士資格試験の再受験にあたって英検一級を取得した話と、一次試験と二次試験の対策についてご紹介していきたいと思います。