前回は、カリフォルニアの語学学校での勉強の様子を書きました。今回は、そこで出会った人たちや異文化体験を書いてみようと思います。
もちろん、三ヶ月という短い期間にカリフォルニアの田舎町で経験したことだけに基づいているので、一般化するつもりはありません。あくまでも私の感想ということで書いてみます。
熱血教師ジーナ
前回の勉強法編にも登場したジーナ。指導はストイックですが、教育への情熱と生徒への愛にあふれたスーパー人格者でした。
夫はビジネスコンサルタント、英語教育のためにアフリカへ滞在することもしばしば、数年前には日本の大学でも教えていました。
最近、またFacebookにアフリカの写真を投稿しているところを見ると、アフリカに長期滞在しているのでしょう。
ドイツ系の女性で、いわく「アメリカはすべてを捨てて海を渡ってきた人たちの子孫でできているから、我々の体にはベンチャー精神の血が流れている」のだそうです。
リーディングの教科書は、南アフリカの作家アラン・ペイトンの"Cry The Beloved Country"でした。日本ではほとんど知られていない作家で、反アパルトヘイトの作品です。
読み応えのあるいい本だったので、洋書を読みたい方にはお勧めします。他にも、アフリカの歴史や現状なんかを教えてくれて本当に面白かった。あれ以来、南アフリカ国歌を聞くとしみじみしてしまいます。
カタリナ
コロンビアから来ていた留学生。すでに社会人で、たしか広告代理店か何かで働いていたと思います。教養のありそうな落ち着いた感じのお姉さんで、学生たちからは少し大人に見られていました。
母国語はもちろんスペイン語で、英語とは文法がそっくりなので、話すのが早い早い。それでいて発音はスペイン語訛りなので、スピーキングの相手になるともう大変でした。
コリアン・台湾人
韓国人たち。それはもうたくさんいました。カリフォルニアに進出している企業の研修できている人もいれば、大学生もたくさん。
地元には韓国人コミュニティがありましたね。町で唯一東洋の食材が買えるのも、韓国人が経営する店でした。
韓国ではまだ数え年を使うんだとか、漢字はほとんど使わないから漢字を知っていると尊敬されるとか、クリスチャンが多いとか、いろいろ初めて知りました。
台湾からも来ていました。一人は化学専攻の、もう一人は会計士の元気な女の子二人。親戚一同がみんな同じマンションに住んでるとか、中華系の文化って何だかすごいのなと思いました。
マリア
アルゼンチンから来ていたちょっとチャキチャキした感じの女の子。常に手下みたいな男二人を助さん格さんみたいに引き連れていました。こちらもカタリナと同じく、決して上手くはないのによくしゃべる。
そして、独立自尊の精神にあふれ、学校の課外授業でも自主的に(勝手に?)行動します。先生も、「大人なんだし大丈夫だろ」と放置。海外って、いいね。
ハビエルおじさん
概して若くて騒々しい留学生の中の癒し系、ペルーからやってきたハビエルおじさん。たしか理系の研究者だったと思います。
常に微笑みをたたえ、ちょっとずんぐりした体型にインカの昔を思わせる顔つき。ラテンアメリカといってもキャラはいろいろなんですね。
そういえば、日本人の女の子とイチャイチャしてるブラジル人のイケメンもいたなあ・・・。
ジャスティン一家
留学時はホームステイをしていました。泊まったのがジャスティン一家。モルモン教徒でコーヒーを飲まない・・・これは辛かった。
夫婦と小さな女の子二人の一家、両親は地元で不動産業を営む実業家で、当然、共和党。
当時の私はどちらかというとリベラル寄りだったので、共和党支持者の彼らとは意見がずれる。と、これが議論になるんですよね。
別に政治的議論に限った話ではないんですが、向こうで話をするとよく"Why?"と聞かれて往生した記憶があります。
日本だと、「こうじゃないのかな」と話したとき「あ〜」とか「そうだね〜」とか、相づち的表現が続いて会話が流れて行くことが多いと思いますが、向こうでは"Why?"とスパッと切り返される。
幼少時からの教育の賜物なんでしょうか、のど元にナイフを突きつけられたようでけっこう「うっ」となりました。
バスの風景
他に日本と違うなと感じたのは、ちょっとした関係でも話す頻度が多いことでしょうか。
どういうことかというと、例えば、バス停で並んで待っているときなど、お互いに話しかけることがよくあります。"Hi."とか言って。日本じゃまあ見ません。
知らない人同士でもパパッとやりとりする雰囲気があるんですよね。飛行機で隣になれば話すし、店員さんともちょっと話したり。
多様性
今でも一番印象に残っているのは、ある日の課外授業のときの風景です。その語学学校では、近場の観光スポットやリゾート施設なんかにときどきツアーがありました。その中の一つに参加したときのこと。
チャーターしたバスの運転手さんはインド系、引率の大学生(語学学校は大学の付属校)は日系アメリカ人でした。
留学生をバスから送り出して、「次はいつ出発」とかそんな会話を英語でポンポンっと交わした後、運転手さんがおもむろにヒンディー語の新聞を読み始めました。
それを見たとき、世界中からいろんな人が集まって、英語や一定のルールなどで共通の仕組みは作りつつ、そこから外れれば自分たちの文化の世界にスッと戻るこの多様性、すごいなと思いました。
もちろん、細かいところでは差別だの何だのあるんでしょうけど、この懐の深さは日本にはないなと当時は思いました。
留学で得られる一番のものはもちろん語学力ですが、世界中からたくさんの人が集まるところならではの体験、世界にはいろいろな人がいるんだというバカバカしいほど当たり前の体験、それも得られる大きなものかもしれません。