TOEICスコア850への道

こちらは「TOEICスコア800点台の英語レベルとは」の続編です。前回、TOEIC850は小学校高学年か中学生レベル、でも、英語の世界の入口には立てる、とご案内しました。

では、そのTOEICスコア850までたどり着くにはどうすればいいのか。私自身、あまり体系的に英語を勉強してきたほうではありませんが、今までの道のりをお話ししたいと思います。

さて東大生は英語がペラペラなのか

いきなりカミングアウトしますが、私は東大出です。最近は海外の大学と比べてどうなのとか、いろいろ言われておりますが、一応日本の最高学府、と言われています。

個人的には日本の受験システムの頂点というだけで、世界に通じる教育機関かと言われるとどうかと思いますが、ここでの話題ではないので割愛します。

さてその東大生たちの英語力はどんなもんだったのでしょうか。あくまでも私の周辺の情報ですが、「そんなでもない」と思います。少なくとも2000年前後では。

できる人はできるし、できない人はできない、そして、できない人のほうが多い、という印象でした。

当時の私はTOEIC630くらいしかありませんでしたし、英語のリスニングでは帰国子女の子の周りに群がって答えを聞いている人たちがいました。

私は受験英語をあまり熱心にやらなかった口で、構文や品詞の名前は今でもそんなに知りません。教科書の音読だけはよくやっていました。

センター試験のとき、隣にボロボロの参考書を持った人が座ってびびった記憶があります。もちろん、できる人は超優秀でした。

英語はおろか、中国語もマスター、おまけに在学中に司法試験に合格とか、怪物みたいなのがいたのは確かです。

これは英語に限らず全体的な印象ですが、少数の天才(天才という言葉が本当にふさわしい)と大勢の受験秀才の学校だったと思います。

今から振り返ると、外資系企業に就職する人も増え始めていましたし、図書館で「TOEICスコア800超えだけどまだ全然」「英語できないと話にならないよね〜」という就活生の会話を聞いた記憶があるので、学生の意識が変わる過渡期だったのだと思います。

三ヶ月短期留学した

さて、そんな適当英語学習者(というか、学生時代は勉強すらしてなかった)が、就職し、すぐに一度目の転職をします。

春から新しい職場ですが、前の職場は辞めていてやることがない。じゃあ、英語できるようになっとこうか、というわけで、語学留学します。

行き先はアメリカ合衆国のカリフォルニア、UCDavis(カリフォルニア大学デービス校)の語学学校です。

アメリカ大使館でビザを取るとき上手く話せず、担当官に「がんばって勉強してください」と「日本語で」言われる屈辱にもめげずカリフォルニアに着いてみると、語学学校には日本人と韓国人がいっぱいでした。

日本は法政大学かどこかが提携してたくさん来ていました。韓国も大学の提携があったようですが、個人で来ている人もたくさんいました。

あとは台湾の方。特に韓国人は、現地にコミュニティができている様子で、バイリンガルのコリアン・アメリカンがたくさんいました。今にして思えば、IMF危機後の留学・国外脱出熱だったのでしょう。

ほかには、アルゼンチン、ブラジル、コロンビア、ペルー、アフリカのコンゴからも来ていました。

ラティーノはなんか独特の人生哲学を持ってる雰囲気でしたし、コンゴの人は内戦が終わったばかりで祖国の復興に燃えてましたね。面白い体験でした。

そんなカオスな語学学校で、TOEIC630でバスに乗るのもドキドキものの私がどうやって三ヶ月でTOEIC850まで到達したのか。

次回以降、語学学校で失敗しないためのコツを、授業の内容なども含めて書いて行きたいと思います。