photo by Caleb Roenigk
前回のコラムでは、英語圏の文書のフォーマットを知らないがために、言いたいことが伝わらない、ということをご紹介しました。今回ご紹介するのは「書きっぷり」についてです。
これはどういうことかと言いますと、日本語と英語の文章の構造的な違いです。英語では「結論」を先に書いて、その後に「論拠」を書くという、わりと単刀直入な書き方をします。
日本語の文章の場合は冒頭に長々と時候のあいさつが入ったり、時には日本人しか知らないコトワザを入れてみるなど、文章の「装飾」に凝ったりします。日本人の話しっぷりと同じで、結論を単刀直入に言わないわけです。
例えば、業務報告書で延々と「何々がこうなっていてこうで」と説明を長ったらしく書いて、最後まで読まないと結論がわからない、しかもその結論がはっきりしておらず、「一体何がいいたいんじゃ?」という文章です。
また別の例では、文頭で日本式に「若葉が目にまぶしい季節になりましたが、ご機嫌いかがでございましょうか?」と書いて、それを英語に直訳して書いてしまう人が少なからずいます。
こんな挨拶文は英語にはありませんので、読む方は意味が分かりません。しかも要件はその長ったらしい挨拶の後にちょろっと書いてあるだけ。まさに紙(印刷してある場合)と電気信号(メールの場合)の無駄です。
どちらの文章も読んだ方には「はああ?なんじゃこの奇怪で気色の悪い文章は ??一体何がいいたいんだ??」と言われてしまうわけです。
しかし書いた当の本人は日本語の文章を一生懸命翻訳して書いているので、まさかそれに対して文句をいわれるとは夢にも思いません。文章の目的は「意思を伝えること」です。
読んでいる方が注力するのは、「何が書いてあるかわかること」、つまり、メッセージを理解すること、です。何をいいたいのか、単刀直入に書いてあれば、少々の文法やスペルの間違いがあっても、ウェルカムです。
文法や熟語はあっていても、日本語直訳だったり、謎の挨拶文が文章の半分を占めていたり、結論が最後まで書かれてない方がイライラする文章なのです。
しかしながら、日本の人は「英語で何かを書く」となると、やれこの言い回しを使うとどうだ、こんなに単語を知っている、文法があっているかどうか、という「本論ではないこと」に拘りがちです。
書店に並んでいる英作文の本を読んでも、「英作文」なのに「これは現在完了だが過去形でもウンニャラ」と延々と英文法のことが書いてあったりします。
受験英語の成績が良かった人ほどこういう細かいことに拘りますが、どうやったらキーメッセージが伝わる英文になるか、ということは考慮していません。
ちなみに英語圏や英語を公用語として使っている国では、早い国では小学校の段階から「文章の書き方」の訓練を受けます。
単なる「作文」ではなく、「相手をどう納得させるか」「どのように説得力のある文章を書くか」ということを徹底的に学びます。つまり、「メッセージをどう伝えるか」ということです。
またこの様な訓練の中では「論旨が通っているか」「妥当な表現を使っているか」「文章のバランスはどうか」「正しく引用されているか」ということが採点の対象となります。
文章表現が美しいか、子供らしい表現か、なんてボンヤリしたことは評価されないのです。あくまで「相手を説得する『道具』としての文章を作る能力があるかどうか」が問われるのです。
こういうことを幼少時からやっているので、大人になると、白を黒と言いくるめるご立派な文章が書けるようになるのです。ちなみに読む方も、相手がこういう「説得してくる文章」を出してくることを想定しています。
日本の人の大半は子供の頃から「遠足に行って桜が奇麗でした」「主人公はこのときツルの気持ちを考えて悲しくなっていました」という「ぼんやりとした感想」を書く訓練しか受けていないので、彼らに伝わる文章を書くことができないのです。