大学キャンパス

photo by Dick Johnson

現在、パソコン1台で働きながら一ヶ月ごとに国を移動する海外ノマド生活を実践している豊永奈帆子と申します。

私は中学校3年間をオーストラリアですごして英語が出来るようになってから、確実に人生が「ラク」になったと感じています。

前回は英語ができることでいかに大学受験がラクだったのかを書いたので、今回は大学生活について書きます。

英語の上手い「純ジャパ」の学生

私が入学した早稲田大学の国際教養学部には英語の配点が高いこともあって、私のような帰国子女や留学生が多く在籍していました。

そんな環境の中で留学経験のない日本人の学生は純粋ジャパニーズを略して「純ジャパ」と言われていました。私はこの「純ジャパ」の学生に多くの刺激を受けました。

なぜなら、私は高校時代から「帰国子女だから英語ができて良いね」と言われ続けていましたが、彼らは帰国子女でなくても英語が上手かったからです。

英語での授業が主な学部を選んでいるだけあって「英語が好きだからこの学部を選んだ。」と言う人が多く、中には英語辞典をまるまる暗記しているような人もいて、自分の語彙力の少なさに反省しました。

そんな純ジャパの学生と、帰国子女、外国人留学生と一緒にグループディスカッションをしたり、一緒に発表を行ったり、卒業論文もすべて英語で書いたおかげで私の英語能力は入学前より確実に向上しました。

「国際教養学部」は専門性が身につかないと批判されることも多いですが「大学で何を勉強したか分からない」という学生が多い中、「少なくとも英語の能力は向上したと言えるのは良かった」と感じています。

3ヶ国語ができて当たり前の留学生

早稲田大学国際教養学部には授業のほとんどが英語で行れるということもあって、多くの外国人留学生のクラスメイトがいました。

そんな学部での第2外国語の授業で驚いたこと。それが韓国人学生の多さです。

彼らは日本への留学前にすでに、英語、日本語共に操れる人が多く、「韓国人の中では3ヶ国語ができて当たり前。4ヶ国語できるのがステータス」と言っていました。

そんな学部に通っていたために、自然と「語学ができるとトクしそうだ。」という気持ちが強くなり、私は真剣に中国語を学ぶようになりました。

そんな学部で学んでいたために、他の学部の学生と話して感じていたのは、英語に対する意識の違いでした。

違う学部の友人が「英語はできた方が良いけど。。。」と言っていたのに対し、学部の外国人達の「英語は絶対」という意識がありました。

日本で働くのであれば日本語ができれば問題ありませんが、多くの学生が海外で働くこと、海外の大学院に進学することを目指していたのも「英語は絶対」という雰囲気の理由です。

英語の情報量の多さ

大学で書くレポートは基本的に英語だったため、インターネットで検索するのは英語で検索することが多かったです。そこで気付かされたのがインターネットで情報を検索した際の英語と日本語の情報量の差です。

同じ検索ワードで検索しても、パッと何か知りたいときにWikipediaを検索しても英語ページの情報量は圧倒的です。

やはり日本語の方が読むのは速いので、英語から日本語に切り替えることもありますが英語と比べての情報量の少なさに、諦めて英語に戻すことも多いです。

また、同じ情報でも英語で話題になった文章が、数日後にタイムラグを経て日本語で話題になることも多いです。情報社会の世の中で必要な情報をよりを早く受け取れるのはメリットだと思います。

英語圏で道を歩いている際、英語ができなかった頃はいちいち単語を読むという感覚がありましたが、今はなんとなく眺めていると必要な情報だけ目に入ってくるようになったので、街を歩いていても受ける情報量が多くなったと感じます。

今回は、大学時代の英語のエピソードを紹介しました。これからの連載でも、引き続き英語ができると人生「ラク」になる理由を説明します。