英語教師に必要な英語力

こちらは「先生が語らない日本の学校教育の裏側」の続編です。

日本の英語教師の英語力に関しては、大前研一氏が以下のようにコメントしています。

日本の英語教師TOIEC平均560点 教えるのでなく教わるレベル

日本では、英語教員のTOEICの平均スコアが中学560点、高校620点という統計がある。文部科学省はすべての英語教員に730点以上を求めているが、たとえば韓国でトップ5の大学に合格するには800点以上が必要だ。

つまり、日本の中学・高校の英語教員は、海外では“教わるレベル”であり、そういう人が教えているのだから、日本人の英語力が上がらないのもむべなるかな、である。

今回はCELTAを取得して実際に学校で勤務をした後で気がついた、教師の英語力に関しての私の意見をまとめたいと思います。

教員の英語力は教科指導力に比例しない

英語力があれば授業がうまい、が正しい場合は英語ネイティブの独壇場です。しかしCELTAコースで英語ネイティブが色々指摘されていたのも事実です。

指導する上では、生徒の力量の的確な把握、また上達マップを描き、生徒にそれを実行させる事が必要になります。それは英語力とは関係ありません。名選手名監督にあらず、です。

もちろん英語教師としては英語の運用技能が高いに越したことはありませんが、そればかりを見ていると「教師」としての本質を見失います。

帰国子女で英語がペラペラな先生が自分で30分英語で話をするのではなく、1分間でも生徒が自分で外国人と話をできる英語力を取得させる事が本来の教師の目標なのですから。

中学校(特に1・2年)ならTOEIC500でも教科指導力があればよい

英語ネイティブが「俺がこれやるんですか?」とドン引きした初歩レベルの指導も教員の仕事です。

この中学一年生にABCやI, my, me, mineを教えるクラスの担当教員に、CELTA修了者をそろえる必要が本当にあるか、というとNOだと思います。

中学生が相手なら、教科指導力があって生徒から尊敬される先生、「〜先生の授業は分かりやすいし面白い。」と言われる先生の方がTOEIC900を超える指導力の無い先生よりも、よっぽどためになります。

実際TOEIC500程でも、生徒からも保護者からも尊敬されている現場の教師の話を、私は直に聞いたことがあります。

TOEIC900超えてて指導力もある先生は、ないものねだりに等しいのが現状です。教える力も英語力のない教員は... です。

どの層の教員が高い英語力を持つべきか

日本の現状でみて、高い英語力が必要とされるのは、

  1. 一等地にある恵まれた子供が多い地域の学校で勤務する教員(保護者から馬鹿にされないため、また塾などに通っているので勉強ができる生徒が多いため)
  2. 地方公立・私立の中〜上位高校に勤務する教員(上位層を伸ばすため)

です。ただ、上記以外の日本の他の現場はそう行きません。生徒指導が中心の底辺校では、生徒が問題を起こせば警察だ、児童相談所だ、裁判所だ、となる環境です。こういった学校勤務でCELTA修了が必要かは疑問です。

私は、自分がこういった困難校に勤務する事は無理だと思っていますので、こういった学校では生徒指導力が優先されるのはある意味自然な話だと理解しています。困難校等で活躍されている先生は、純粋に尊敬します。

どの層の教員がCELTAを取得すべきか

個人的に一番CELTAが必要というか、もう一頑張りして欲しいのは年齢が40~50台の高校の教員です。それも偏差値45〜55程度の生徒がいる普通の学校で、普通に教員をしている英語力も指導力も一応OKな層です。

英語教師

理由は、日本人の英語力向上で必要なのは高校での授業の質を上げる事だと思うからです。

いまだに高校の授業では教科書の訳を口頭で説明し、生徒がメモする形式の訳読授業が行われているクラスも多いと聞きますが、それを変えたほうがいいと思っています。

そのため教員自身が更に英語力をつけ、授業にCELTA式の英語運用能力の開発を目指したエッセンスを取り入れると、少しは日本人の英語運用能力が底上げされると思っています。

次回は、まとめです。日本の英語教育で最大の問題点である入試とその処方箋としてある程度CELTAが有効だと思うので、その理由を書きたいと思います。

追記

TOEIC500という数字が衝撃的だったのか、様々な反応がありましたので追記をします。

教える側なのだから満点でないと、という認識だと満点をとれる人がどれくらいいるかなぁと疑問に思います。

TOEICはある程度の英語力がある人以上は、英語力の試験というより集中力と正確性の試験になると思います。ある意味日本人が日本語検定1級で満点取るのに近いので、大変だと思います。

ほぼ満点ならいくでしょうが、以前何かの本で外資勤務のネイティブがTOEICを受験させられ、スコアが900を切ったとかいう話も読んだことがあります。

大学で4年勉強して500点はひどい、と言う人もいます。激しく同意ですし、不思議です。でも、そういう先生いるんですよ。

そもそも、英語教師が大学の4年間で、そんなに英語勉強しないですからね。私はイギリス留学のためTOEFL対策しましたけど、大学ではそれを抜くとほとんどしてませんでした。

ちなみに大学で英米文学専攻でしたが、教授は文学専攻でビジネス英語は知らんというスタンス。エドガー・アラン・ポーとか読みながら寝る授業です。

地方国公立の教育学部はセンター英語160点とかで入れて、教育哲学とか勉強してるんじゃないですかね(勝手な想像です)難関私大の英語をくぐり抜けた人の英語力はかなり信頼できますが、推薦組は個人次第です。

たまに凄く英語出来る教員がいますが、大体外大とかMarch以上。つまり、ガチ英語力は日本の大学ではつかないのが現実で、入る前にある程度勝負がついてる。そこを大学入学後に取り戻すにはそれなりの努力が必要。

最近はAPUとか秋田国際とかも出来てるし、少しは大学も変わっているかもしれません。というか、そうであってほしい。

それと、大学生の時には、公立の教員志望だと採用試験対策で9教科まんべんなく勉強してるんじゃないですかね。それが面倒で嫌だから私は大学生の時に私立に就職したのですが。

仮にTOEICで満点の教員が教えても、生徒が説明を聞こう、指示を信じて勉強しようという気持ちにならなければ、どんなに良い授業をしても成績は上がりません。

なので、教員が知行合一の姿勢を見せ、自分も勉強している姿勢を見せるのはとても大事で、またその証明としてTOEICで高得点が必要、というのはわかります。

教員になってからも勉強してTOEICのスコアを上げる熱心な方もいらっしゃるようですし。TOEIC500点でOKといっても、今後新卒で教員になる人は500点ではほぼ不採用だと思います。全英語教師がペラペラ、が理想でしょう。

私も賛成です。でも現実そうじゃない。なら使える部分は利用して、そうでない部分を改善するのが定石、という意味でのTOEIC500+指導力ならOKというのが現実的な話です。

正直指導力ない人も結構います。そういう人は、本気でどうにかしたほうがいいと思ってます。そんな中で、当面は現場の新陳代謝で何とか対応しよう、が日本の姿勢。

これではヌルいというのも理解できます。ただ、指弾しても人は変わらないし、入れ換える人材もあまりいないのが現状です。

そもそも、英語という「実技教科」で40人相手に「座学」でやることが土台無理な話で、そこにどう向き合うかが英語教師に問われてます。

「こうあるべき」というのは理解できるし賛同もします。でも現実が違う以上、それにどう向き合うかを考えるしかない。

結局は今の日本では一部の天才的な生徒を除いた普通の生徒が英語をできるようになるためには、家庭や個人で対処するしかない。

塾が答えかもしれませんし、NHK講座を自主的に、または親に言われて子供が消化するとか、スカイプ英会話を毎日やるとか、この当たりを上手く組み合わせる、などです。

中学入試で英語が導入されれば小学校英語に親が本腰をいれますが、おそらく導入されないでしょう。中学に入ればABCから結局やることになります。

土台の話、小学6年で英検4級取れても、継続しないと意味ないですからね。日本の「英会話学校」に通った生徒は、ちょっと発音良いけど中2〜3で文法と単語の基礎が無い場合は「普通の生徒」になるケースがある、と聞きます。

そして、親はあれだけ高い金を払ったのに英語ができないと文句を言う、とか。中学生のスカイプ英会話も同じ感じになる可能性もあります。同時に、これを上手く利用して劇的に英語ができるようになる子供も出ます。

結局は家庭の文化資本と経済資本がモノを言うと思います。元英語教師がこんな事を言うので、日本の英語教育に絶望するかもしれません。

もし学校に頼ってネイティブ並みの英語力を子供にあげたいなら、インターナショナルスクールにでもいれるしかないと思います。