ベルリッツに行って英語が苦手だという思い込みが払拭された

英語が苦手である。ソフトウェア・エンジニアをやる以上、英語からは逃れられないのではあるが、苦手なものは苦手である。

とにかく学校でも英語からは逃げ回っていたし、仕事をするにもコードと付きあわせてなんとか解読という感じでどうにかしていたのだが、やはり英語の読み書き会話はある程度できないとしょうがない。

ちょうどバンコクへ行く話が来た時も、海外で仕事なんかすればちったあ英語ができるようになるんじゃないかという期待もあった。そしてさっそくバンコクでの住居が決まったあと、英会話で有名なベルリッツに通ってみたのである。

ちなみに2009年当時のそのころはレートも良かったので、日本のベルリッツの1/3程度の価格であった。正確な価格は覚えてないのだが、1レッスン750バーツ、50レッスンで10万円程度だった記憶がある。

一応英語のマニュアルとかも読解できるし、洋楽とか聞いて多少英語耳も鍛えてきたし、少しはなんとかなるだろーとたかをくくっていたわけなのであるが、現実はそんな甘いものではないことを思い知らされた。

ベルリッツ講師陣の奮闘

先生とがんばって英語で会話するわけなのであるが、以下のようなものである。これはフィクションではない。繰り返す、これはフィクションではない。現実に起きたことだ。

-先生「あなたの部屋には何があるの?」


-俺「(え、引っ越したばっかでなんもない)」


-先生「ピクニックには何を持っていく?」


-俺「(えっとピクニックとかいったことないし……なにもってくもんなの?)あ、あいどんのー」


-先生「最近旅行はどこいった?」


-俺「(えっと旅行とかしないし……)いやどこも」


-先生「休日には何をしてるの?」


-俺「(あ、これなら答えられる!) tweet したり blog したり hack したりしてるよ!」


-先生「はぁ?」

完全なオタク非コミュひきこもり非リアの俺に、先生の質問は高度すぎた。そう、問題は「英語が苦手」なことではない、「人間とのコミュニケーションが苦手」なことにあったのである。

その後もあきらめずにベルリッツの先生たちはよくしてくださり、わざわざネット好きな先生を割り当ててくれたりするなど本当によく面倒をみていただいた。

英語圏と日本語圏の顔文字の違いの話などで盛り上がれたのはうれしかった。しかし問題は英語力以前、コミュニケーション能力の問題なのである。

言語とはコミュニケーション・スキルであるという現実

日本人には英語の発音というのは実に聞き分けにくいものなのであるが、たとえば work と walk の違いがある。

カタカナでは「ワーク」「ウォーク」と書かれてその違いは明白なのであるが、実際の発音を聞いてみると母音が違うだけ。しかもどちらも日本語にはない音なので実に聞き分けにくい。

実際にあるオープン・カフェでだらりと座ってたところ、「Do you work here?」と声をかけられたことがある。

しかし俺は work を walk と聞き違え、「え、俺座ってるよ? 歩いてないよ? 何聞いてんのこのおじさん?」と思ってしばらくフリーズしてたことがある。

要するに彼は俺が店員かどうか聞きたかったわけなのだが、それが読み取れなかった。

この話を知人にしたところ、「歩いてるかなんて聞くわけないんだからちょっと考えればわかるでしょ!」とツッコまれた。いやまあ確かにそうなんだけど非コミュにそんな回転の早さは……。

先述のベルリッツの先生との会話にしても、ピクニックや旅行なんていったことなくても適当に嘘を言えばいいんだと言われる。リア充たちはそうやって普段も会話してるということなのか……。

相手の意思を読み取る、話題にうまく乗る、適当に嘘をついてでも話を途切れさせない。そういった会話スキルは、学んだ言語を使う練習に必須なのである。

しかし母国語でもそんなことができない非コミュ非リアはそういった練習を外国語で積めるわけがない。

非コミュの英語挑戦はどうしたらいいのか

そういうわけで俺はとりあえず母国語でもいいからとにかく知らない人と会話する練習を始めるわけなのであるが、なかなか追いつくものではない。

しかしわかったことがないわけではない。非コミュが話そうとするとどうしても一方的な演説になりがちである。しかも相手には理解できないことを延々と話すダメなトークをやりがちだ。

これは話す能力がないのに話そうとするからいけないのである。話す能力がないなら聞けばいい。非コミュが話そうとするからうまくいかない、相手の話を聞けばいいのである。

会話とは話す人と聞く人がいて成立する。スキルが要らないのは聞く側である。だってわからなければそれこそ質問するだけでいいのだから。

へたをすればわからないところを質問してるだけで十分楽しい会話になってしまったりするのだ。「話を聞くスキル」というのは本でも学べるので、そういったものを見てみるのもいいだろう。

こうしたことが母国語でできるようになったら、外国語でそれをやっていく。ところがさきほども書いたようにヒアリングの能力を鍛えるのはけっこう大変だ。こちらは今もって挑戦中である。

ヒアリングのためにはとにかくまず語彙力、また相手の表現を理解するための英文法の知識ということになる。つまりは基礎だ。要するに学校での勉強をサボってたぶんがまるっと帰ってきてるわけである。

今は無理な挑戦をやめて、この基礎をちまちまと勉強している。バンコクには西洋人もたくさん住んでいるし、英語を話すタイ人も多いので、会話の練習はいつでもできる。

基礎をしっかり固めれば、彼らともっと会話ができるようになるだろう。その日を夢見て、今日も基礎を学び直している。