はじめまして。クボタカズミです。ベトナムのホーチミン市での生活は4年目になりました。現在私はこの街で、在ベトナムの日本人に英語を教え、また在ベトナムの外国人に英語で日本語を教えています。

さて、この街の正式名称は「ホーチミン市」なのですが、住み慣れて来ると「サイゴン」と呼ぶ方がしっくり来ます。

地元の人はベトナム語の「ホーチミン市 / Tp. Hồ Chí Minh」は行政区域として用い、街全体(特に中心部)は愛着をこめて「サイゴン / Sài Gòn」と呼ぶのが普通です。というわけで、以下「サイゴン」を使いたいと思います。

サイゴンは意外にコスモポリタンだった。外国人もベトナム人も英語で話しながら地元の店のフォーを食べている

日本人の旅行先としてもポピュラーになってきたサイゴン。中心部のドンコイ通りやサイゴン大聖堂を少し外れるとビジネス街が広がっています。そこで働く人はベトナム人だけではなく、外国人も多いのが現状です。

私がサイゴンに来て驚いたのは働く人たちの人種の多様性で、アジア系の外国人はもちろん、西洋の人も結構いますし、アフリカ系、中東系の人も普通に街を歩いているのを見かけます。

格好もスーツに革靴、Tシャツにジーンズ、短パンにビーチサンダルと色々です。女性もパンツスーツからジーンズ、パーティドレスのようなワンピースまで何でもありです。きちんとした格好なのに足元はサンダル、という人も結構います(笑)。暑いですからね。

ベトナムは東南アジアの中では比較的人件費が安く、それは裏を返せばベトナム人にとっては外国企業で働くと給与が非常に良いということでもあります。そのため、英語力が給与に直結します。

特に、外国人と直接やり取りしたり、ベトナム国外の企業と直接取引するポジションの人の給与は非常に良いといえます。私は、1区のダカオ地区というビジネス街に通っています。ここは各国の領事館が集まり、外資系企業も多いです。

お昼になるとオフィスから人々が出てきて、コムビンヤン(大衆食堂)やフォーの店やブンチャー(ベトナムつけ麺)の店など、地味でごちゃごちゃした店にベトナム人と外国人が入り、英語でわいわい話しながら安くて美味しいローカルフードを楽しんでいる様子を毎日のように見かけます。

また、私自身もベトナムの人と英語で話しながら食堂でランチすることもあります。最初は面白い光景だと思っていましたが、あっという間にそれが普通になってしまいました。

「英語はフォーマルな場で緊張して使う」という日本での刷り込みが、いつの間にかベトナムの食堂で消えました。英語は生活に便利なただの道具でしかない、ということに気づいたからかもしれません。

【写真】サイゴンの大衆食堂、コムビンヤン。多くの場合はご飯、付け合わせ野菜、選べるおかず、スープ、冷たいお茶がセットです。

英語でベトナム人のお給料はどのくらい変わるの?

現在ベトナムの経済は好調で、見る見るうちに高層ビルが増え、今日より明日は必ず良くなるというポジティブな雰囲気が溢れています。ホーチミン市の経済成長率は年10%近く、と今の日本では考えられない成長ぶりです。

そんな中ではありますが、やはり他の東南アジアの国々に比べるとまだ平均の給与は低く、相対的に「外国(人)はお金持ち」という印象が出来上がっています。

個々のケースで変わるとは思いますが、ベトナムの人が英語を使わないで地場企業で働く場合と、同じようなポジションで外資系企業で日常的に英語を使って働く場合、私の感覚では給与の差は2倍です。

3倍近くになるという話も聞いたことがあります。英語習得が生活に関わるので、もう必死です。私だって将来の給与が2倍になるのだったら、子供の頃から他の教科そっちのけで英語を勉強したでしょう(笑)。サイゴンでのメインの移動手段はやはりバイクです。

地下鉄は現在建設中です。ベトナム人の9割以上はバイクで移動している印象です。そのバイクも、私が初めてベトナムに旅行で来た2000年頃にはボロボロの中古ホンダカブ、そして自転車が多かったのですが、今では綺麗な中型スクーターが主流になってきました。

外資系企業に勤めている人の中には、通勤にスポーツタイプの高級バイクやベスパなどのお洒落な欧州製バイクを乗りこなしている人もいます。そんなイメージとも相まって、英語はベトナムのビジネスパーソンにとって必須のスキルになりつつあります。

サイゴンの特殊な事情「越僑」

ベトナム・サイゴンと聞くと戦争を思い浮かべる人もいるかと思います。41年前、この地で戦争が終わり、その様子は世界中にテレビで放映されました。

今でこそサイゴンは高層ビルが立ち並び、高度経済成長を続けていますが、戦争が終わった後の1970年代後半から1980年代では社会の急激な変化を恐れて、サイゴンから多くの人が外国へと脱出していきました。

船で脱出した人々は「ボート・ピープル」と呼ばれ、また世界のニュースとなりました。その人々の一部は日本に定住して、日本では「ベトナム難民」と呼ばれました。

アメリカ・オーストラリア・カナダ・フランスなどに移住したベトナム人も少なくありません。どの国に渡ったとしてもそれぞれの苦労があったと思います。

しかし先進国に渡った人々は、生活が安定してくると物価の安い祖国に送金することでベトナムに残った家族を助け、また10代で外国に渡りベトナムと外国の生活を両方経験しているベトナム人は、言語的にも文化的にも二つの背景を持つ貴重な人材となりました。

ベトナムではこの外国に渡ったベトナム人を「越僑 / Việt Kiều」と呼び、日本語の「ベトナム難民」のイメージとは全く違う、憧れの(また、妬みも混ざった複雑な)感情を抱いています。

彼らのベトナムへの送金額の合計はベトナムGDPの10%にもなると言われています。そしてベトナムが経済開放政策を取り経済が成長してくると、越僑がベトナムに戻ってきてそれまで住んでいた国とベトナムを繋ぐビジネスを始めるようになりました。

越僑の会社は外資系企業に近い待遇でありながら、ベトナム文化を理解する社風もあり、こういった会社を選ぶベトナムの人も増えています。しかしここでもやはり英語は必須なのです。取引先が諸外国であるというのが理由です。

さて、次回はその英語を習得する為に、現代のサイゴンで親が子供にどんな教育をさせるのかについて書こうと思います。